病院と薬局

先日、病院へ行きました。
家計簿を書いていて改めて領収書を見てみました。

再診察でしたので、診察券を機械に入れ受付をしました。
しばらくすると、
(一人目)受付の方がカルテを用意して名前を呼んでくれるのです。
    保険証の確認をされ、渡されたカルテを指定された外来の窓口へ持っていきます。
    そこには
(二人目)外来の看護婦さんが忙しそうにしながらも笑顔で応対してくれます。
    しばらく待っていると
(三人目)診察室でお医者さんの診察です。
    外来診察後 処方箋を書いてくれました。
    カルテは外来看護婦さんが整理され渡してくれました。
    カルテを会計へ持っていきます。
    しばらく待っていると名前が呼ばれお金を払います。
(四人目)会計の方から院外処方箋を渡されます。

再診料121点 処方箋料68点 
保険総点数 189点
負担金 570円


薬局へ院外処方箋を持っていくと
(一人目)白衣を着た女性の方がさんが「新茶が入りました。どうぞ」とお茶のサービス。 
     処方箋を渡しお茶を飲みながら待っていました。
(二人目)男性の薬剤師さんから名前を呼ばれました。
     いつもの薬なので変わりないかの確認.
    同じ薬の説明の書かれた紙を渡されました。
     お薬手帳は持っていないか確認.
    持ってきていないことを言うとお薬手帳に張るようにと
     処方された薬のシールを渡されました。

     お金を支払い終了です。

    バックを少しでも軽くしたい私は、
     薬のシールはかさばってお薬手帳が分厚くなっていやです。
    携帯にお薬手帳のアプリを使っています。
    薬の説明も薬品会社から発行されるような詳しいものです。 
           
    しかし、必要がないことを言いそびれてしまいました。

調剤技術料 239点
薬剤管理料  41点
薬剤料  1740点

合計  20,200円
負担金  6,060円

・・・・・??????・・・・・

病院も薬局も大変親切でした。
薬剤料というのは薬代でしょう。ここでは利潤は考えないことにして
その他の点数を病院と薬局と比較してみて新発見でした。

政治の知恵と力

ギリシャを見ていると政治とはなんだろうとかと思います。
緊縮か破滅かそして悲劇・・・・・。その悲劇の後にしか平安はないのではないのでしょうか。

政治は財政危機を解決する知恵と力を持ってほしいものです。。

日本も緊縮財政を進めなくてはいけないと思います。急激な緊縮は混乱するでしょうから、少しずつ緊縮を進めていかなくてはいけないと思います。経済成長もしていくためにはどのようにすべきか考え、構造改革で経済成長できるようであれば実行しなくてはならないでしょう。小手先の経済成長刺激策では景気が良くなり税収が増えるなどとうまい話はもう無いのではないでしょうか。

痛みを感じるのであれば軽い痛みのうちに!

ギリシャが何とか支えられ悲劇が起きないことを祈りたいものです。

このようなことになりませんように。
5月17日議会招集できず
 ↓
再選挙
 ↓
急進左派連合勝利
 ↓
Euro離脱
 ↓
デフォルト
 ↓
ドラクマ復活し急落
 ↓
物価上昇(輸入品の物価上昇)
 ↓
給料が減額
 ↓
生活が非常に困窮する


ここで輸入に頼らず生活をし、生産物があれば輸出することができ、また、国外観光客を呼び込むことができればドラクマが安いということは強みになると思う。そして、少しずつ経済が復活していくかもしれないのですが、しかし、そこまでにたどり着くことができるのか?
どれほどの犠牲と悲劇が生まれるかと思うと、まずは何とか17日の議会招集ができるように祈ります。


仙酔峡(阿蘇)

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今日は早朝から仙酔峡へ行ってきました。阿蘇の北外輪山が一望でき、ミヤマキリシマが美しく咲いていました。阿蘇高岳、中岳への登山の拠点でもあります。「仙酔峡」という地名由来は咲き誇る花の美しさに仙人すら酔ってしまったという話があります。




生善院 (猫寺)

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両脇に猫の像
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熊本水上村に生善院(しょうぜんいん)はあります。「猫寺」と呼ばれ、山門には狛犬でなく猫の像が建っています。
この寺は怨霊を静めるために建てられたものです。

相良藩は薩摩藩の島津義久と戦いの中、第18代藩主相良義陽(よしひ)が戦死し10歳の忠房を第19代藩主とし、次男長毎(ながつね)を島津氏に人質として出し他のですが島津氏は八代も自領であるといって攻略を始めたのです。そして「やがてこの球磨、人吉の地にも再び進行してくるのでは」と言う噂が流れ始めました。
そのような中、多良木に先代藩主義陽とは仲が悪かった腹違いの弟頼貞が訪れた時、相良藩の出城である湯山城主湯山佐渡守宗昌(ゆやまさどのかみむねまさ)は、その弟 普門寺住職の盛誉法印(せいよほういん)と一緒に戦死した先代義陽の悔やみを言いに頼貞に会いにに行きました。
宗昌をよく思わない武士達は、先代義陽と頼貞が不仲であったのを利用して、「湯山佐渡守と盛誉法印は、頼貞とともに薩摩藩に協力して人吉球磨に攻め入ってくる。早く征伐しなければ危ない。」と嘘の密告をしたのです。
その噂を聞いた藩主忠房の姉は重臣たちと話し合い黒木千衛門を総大将として、米良・須木の武士に普門寺を攻め入るよう命じました。

密告した武士達は、自分たちの策略がばれてしまった時には早がけの犬童九介(いんどうくすけ)が攻撃中止の使いに出るだろうと予想し、「人吉から馬で来る者は無類の酒(焼酎)好きであるので、水を求められたら酒を出すように。」と、おふれを出しました。

普門寺攻略の前日、家老の深水宗方(ふかみむねかた)は、湯山佐渡守は俗人だが、仏に仕える盛誉法印を殺してしまっては取り返しがつかないことになると判断し、普門寺攻めは中止と決断、犬童九介を普門寺に走らせました。
しかし犬童九介は途中免田の築地でのどが渇いたた水をもらいに茶屋に入ったところ、大きな湯飲みで焼酎を何杯も飲ませてしまったのです。酔っ払った犬童九介は馬に乗ることも歩くことも出来なくなり道に寝込んでしまったのです。
宗昌と盛誉法印は追い討ちの命令が出たのを知り、二人とも逃亡すれば本当に反逆したと疑われると思い宗昌は日向へ逃げ、盛誉法印は普門寺に残りました。

中止の連絡が届かず、黒木千衛門は法印を声もかけず後ろから首を切り落とし寺に火を放ったのです。
犬童九介は自分のせいで法印を死なせてしまったと思い込み切腹してしまいました。

盛誉法印の母玖月善女(くげつぜんにょ)は、その恨みをはらすため、自分の指を噛み切って神像に塗りつけ、またその血を愛猫 玉垂(たまたれ)になめさせ、自分と一緒に怨霊となって黒木千衛門を始め相良藩にたたるよう言い含め、21日間の断食した後に「茂間が淵(もまがふち)」に猫を抱いて身を投じました。

その後相良藩では猫の玉垂が忠房を苦しめ、黒木千衛門は狂い死にし、次々に奇怪なことが起こり始めたのです。
そこで相良藩では盛誉法印とその母玖月善女、愛猫玉垂の霊を鎮めるため、普門寺跡に新しく生善院を建て1625年には別に観音堂を建て、法印の影仏として阿弥陀如来を、母の影仏として千手観音像を祀り、ようやく霊も静まったそうです。

市房山神宮は縁結びの神様「おたけさん」
玖月善女が身を投じた茂間が淵の神社は、子どもの護り神(ごしんさん)として今でも厚く信仰されています。


似ている

平泉へは二人の息子たちも一緒に行き、長男は新しく購入した一眼レフカメラで楽しそうに写真を撮っていました。
携帯電話や小さなデジカメと違いとてもよく撮れていました。

自宅に戻りパソコンでその写真を見て次男が一言  
「やっぱり違うね。お母さんのしわがはっきり写ってる。」

その一言にはこけました!


思い出しました。
夫さまが、デパートのエイジングケアー化粧品セットのチラシを手に持って
「こんなのが入っていたよ。買ってあげようか?!」と、優しい口調で言っていた・・・・・






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